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野村佳代(のむらかよ)

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1972年生まれ。福岡県大牟田市出身。法政大学卒。

大学が二部(夜間)だったため、ピチピチの18歳で
契約社員として出版社に入社(体重は現在のマイナス15キロ)。
つまり大学入学と社会人デビューをほぼ同事にやってしまう。
まだ微妙にバブルの雰囲気が漂う頃だったので、
自身は甘ちゃんのままだったが周りの大人にかわいがっていただき、
「出版社って素敵」という刷り込みが完了する。

その後、「私って学生だし」と甘ちゃんのまま出版社を退職し、さまざまな業界・職種を経験。
でもやはり出版社の楽しさが忘れられず、21歳で出版業界に戻ってくる
(体重は現在のマイナス20キロ。なぜか一時期痩せていた幻の季節)。
このときは「将来はライターとしてフリーで仕事をしたいな」と、
甘いんだか本気なんだか判断が分かれる決意をしていた。その決意の表明として、
出版の専門学校にも週に1回通い始める。

その後、編集プロダクションでアルバイトをしながら大学を卒業。
そのままその会社に就職するも、転職を繰り返し、広告代理店やら出版社やらで
編集やライティング業務に携わる。
のほほんと過ごしすぎて、「フリーで仕事」という夢をうっかり忘れかけていた。
が、なんとか思い出して独立できたのが2005年。すでに33歳になっていた
(体重は現在のマイナス10キロ)。

独立の翌年、学生時代の友人でデザイナーのひらのなおこから
「仕事が暇なんだけど」とメールが来る。「じゃあ一緒に仕事する?」と
後先を考えず誘い、なんとなくユニットを組んでしまう。
さらに数ヶ月後、前職で知り合っていたライター渡辺稔大から
「会社辞めたんだけど」と電話をもらい、「じゃあ手伝って」と仕事を押しつけ、
トリオになってしまう。

なんだかよくわからないグループになってしまったため、
「会社にしようぜ」と法人設立に動いた2007年12月。
立派な中年35歳になっていた(体重は現在のマイナス5キロ)。

現在は、順調に蓄えを増やしてきた脂肪に、妊娠・出産で追い打ちをかけてしまったため、
「ダイエットしなければ」と思案しながらガリガリ君をむさぼる40歳。
ちなみに梨味が好み。

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渡辺稔大(わたなべとしひろ)

1975年生まれ。栃木県佐野市出身。
慶應義塾大学文学部卒。

20歳、映画ブーム到来。銀座並木座(映画館)に通う。昭和30年代の日本映画、
とくに小津安二郎、成瀨巳喜男に影響を受ける。原節子に夢中になる。

22歳。出版社に就職するも、自他ともに認める「給料泥棒」ぶりを発揮。
1年半後、戦力外により退社。

23歳、裁判傍聴ブーム到来。喫茶店でのバイトのかたわら、
裁判所で傍聴して過ごす。被害者の弟に間違えられる。

24歳、サックスブーム到来。区の講座に参加し、サックスを始める。
楽譜が読めないという致命的な欠点は棚に上げたまま続ける。

25歳。郵政関係の専門図書を作っている会社に拾ってもらう。
各地の郵便局を取材して原稿を書くようになる。このときの体験から郵便好きになる。

26歳、カメラブーム到来。ニコンのFM3Aを持ち歩く。
のちに、森山大道に影響され、コンパクトカメラにモノクロフィルムを入れて撮るように。

27歳、電車ブーム到来。急に電車に乗るのが好きになり、休日には1日中電車に乗るのが楽しみに。 乗り物好きが高じて、電車とフェリーで中国や韓国などを旅行。

31歳。なんのあてもなく退社。のちにアスランに参加する。

33歳、健康ブーム到来。15キロのダイエットに成功。酒をきっぱりやめる。

36歳、第二次健康ブーム到来。人生初のぎっくり腰を患ったことで「人生観が変わった」と発言。
極度の運動不足を解消するため、近所の中学校で合気道を習い始める。

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本間貴志(ほんまたかし)

1974年生まれ。神奈川県川崎市生まれ、秋田県育ち。

高校卒業後、ヒモとなる。
彼女の家でゴロゴロして、気が向いた時だけバイトをする日々を送る。
この頃は、高校時代にバンドをやっていたなごりで長髪&茶髪であった。

21歳、彼女に捨てられそうになったことをきっかけに、心を入れ替えスポーツ刈りに。
コピーライターの虎の穴である銀座にあった「東京コピーライター養成講座」の門を叩く。
講座終了後、晴れて制作会社のコピーライターとして採用。
しかし、あまりにビッグなクライアントにおののき、
「東京はムリだ。地方なら通用するかも」と都落ちする。

仙台へ移り、再び制作会社のコピーライターに。
新聞、TVCM、ラジオCMなど、注目度の高い仕事をするうちに、(とはいえ、ローカル限定)
ありえないほどの天狗となる。
天狗の絶頂期は26歳~28歳。髪を金髪に染め、コムデギャルソンの新作で全身を包むようになる。
しかし一方、この頃から、髪のボリュームに陰りが見え始める。

30歳直前、天狗になっていたことを深く反省し、「東京で修行し直そう」と上京。
以後、髪は短髪・黒髪、服は無印良品となり、マジメにライティングに励む日々をおくる。
いくつかの制作会社を経て、アスラン編集スタジオへ入社。
髪が背水の陣となったことから入社後すぐに「リアップ・デビュー」するも、
1年間でおでこの面積が2cm広がり、人生最大のショックを受ける。
2012年春、より強力な「リアップ×5」&話題の育毛シャンプー「スカルプD」の使用を決断。

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